yosu_kemの雑記帳

【不定期更新】日々の暮らしの中で気づいたこと、心が震えたこと、等を記述します。ライフワークとして学術論文の執筆に向けて準備中です。関心のある領域は産業・組織ならびに認知心理学です。ヒトは外部記憶装置として他者をどのように認知し、利用し、相互作用しうるのか、を探究しています。

組織社会化と狂気

 自身の職場が立地する周辺エリア。こちらを一言で表現すれば、ヒトの欲望が分かりやすく可視化された街、となろうか。二文字で無理やり表すと、煩悩、猥雑、退廃、といったところであろう(無茶苦茶言っとるな)。
 自身は昼休みになると、職場近くにあるコンビニへと足を運ぶのがルーチンとなっている。そこで何をするか。雑誌売り場でしばし情報収集をし、飲料を買い、昼食については、そこで買うこともあればそうでない時もある。
 さて、その雑誌売り場にて、とても変わった男性を見かける。出会う頻度は、一カ月に一度出会うか否か、といった程度だ。その男性はいつも雑誌売り場において、「異常なまでの神経質さ」で雑誌を整理整頓している。
 どのように異常であるかといえば、たとえばフライデー(雑誌)を例に挙げてみよう。フライデーが複数部そこにあることを感じさせないくらいに、厚みと立体感を感じさせないくらいに、1フェイスでピシッと揃っていないとダメらしい。もちろん、雑誌棚において、フライデーが2箇所に分かれて配置されていてもダメらしく、ピシッと1フェイス。さらに、彼なりのフライデーの定位置があり、どうやら週刊ポストSAPIOの間と決まっているらしい。これ、フライデーだけではなくて、その雑誌棚に並んでいる雑誌全てにたいして、そのような態度で臨んでいるのである。
 彼と出会う度に思うことがある。この異常なまでの神経質さは、自身の心の隙間を埋めようとする、あるいは、欠乏する何かを満たしたい衝動なのであろうか。それとも、何かに駆り立てられて「そうせざるをえない」のであろうか。
 ところで、実はこの男性は「コンビニの店員ではない」。店員の服装をしていない。はじめは店のオーナーか関係者か?と思ったが、服装は決まって薄汚れたジャージとサンダル。整理整頓を終えたら何も買わずに、店員と全く話すこともなく、繁華街のほうへと消えてしまう。よってほぼ間違いなく、店の関係者ではない。まあ、色々と思うことがあるので、これ以上の言及は避けることにしよう。
 実はこの事象・事例から、以前にインタビューをしたある経営者の言葉を思い出した。「彼ら(社員)はね、好きでやっているんです。誰からも、もちろん、上司からも、私からも、強制されてはいない。彼らは自らの意思で、でも何かに駆り立てられるように、ガツガツと創意工夫をするのです。何がそうさせているのでしょうね。」というもの。組織社会化と狂気とは、違うようでいて、実は共通項があるのかもしれない。