yosu_kemの雑記帳

【不定期更新】日々の暮らしの中で気づいたこと、心が震えたこと、等を記述します。ライフワークとして学術論文の執筆に向けて準備中です。関心のある領域は産業・組織ならびに認知心理学です。ヒトは外部記憶装置として他者をどのように認知し、利用し、相互作用しうるのか、を探究しています。

煮しめの香りの意味を知る

 皆さま、明けましておめでとうございます。新年も頑張ってブログを続けます~酔っぱらってるぞ~ギャヒヒ~。

 

 さてさて・・・。自身はマンションに住んでいる。ある日、仕事からの帰りのことである。仕事帰りの夜更けにマンションの階段をトボトボと上がっていると、どなたかの家から「干し椎茸」の匂いがしており、階段とフロア中に充満している。鶏肉や人参、こんにゃく等と一緒に炊かれたのであろう。そして甘辛く味付けされたのであろう。何ともいえない食欲をそそる香りである。椎茸嫌いのヒトには「違う意味で」たまらなく、他方で、椎茸好きのワタクシには「そのままの意味で」たまらない匂いである。

 

 ところで、とても寒い冬の朝。駅に向かってトボトボと歩いていると、いつも目に留まる「街の掲示板」がある。掲示板にはガラスのカバー(扉)がついていて、そのカバーの向こうに、地域の防災訓練や子育てひろばの日時・場所の案内等、暮らしに関わる催し等のチラシや小さめのポスターが画鋲で板に止められて掲示されている。

 

 ところが、また別の朝においては、チラシやポスターが掲示されていないようだ。何故なのか理由は分からない。「あれ?もうすぐ年が新たになるから、古いものを全部剥がしたのかな?」と、一瞬思った。特に意味もなく掲示板に近づいてみると、いつものように、チラシや小さめのポスターが掲示されていた。

 

 何のことはない、あまりの寒さで、掲示板の外側のガラスカバーが白く曇っていただけであった。外側のガラスが曇っていたために、離れた場所からはその中身のチラシやポスターが一時的に「見えなかっただけ」なのだ。

 

    何気ないこの度の事象・事例から、自身の認知におけるほんのささいな傾向やバイアスが、態度や行動に大きな影響をもたらしうることを再確認した。椎茸の煮しめの香りを、どのようにたまらなく感じるかはヒトそれぞれである。それに、同一のヒトにおいても、そのヒトがまさにその時おかれている状況によって、対象からもたらされる意味は容易に変容しうる。単純化すれば、仮にお腹一杯で「もう食べられねえ〜ウップ状態」のときならば、ワタクシでさえも椎茸の煮しめの香りを快く思わない可能性がある。…という話を延々としました。今年もよろしくお願い申し上げます。