「電車内」は社会の縮図といえるのだろうか
前回更新に引き続き、電車内のネタを記述する。
ある仕事帰りの夜であった。
ほろ酔いでターミナル駅から電車に乗り込み、帰途につく。
ふと目に留まったのは、二人の若者であった。
この二人の若者は(20代前半、大学生であろうか)、向かい合って着席していた。
ここで1つ説明を加えたいのだが、高校生から大学生くらいの若い男性において、
「この座り方」をする輩がたまにいる。まさに面と向かう、対面式のスタイルである。
反社会的勢力と呼ばれる組織に属する方々は、厳しい交渉時には必ずこのスタイルを取るらしい。そして、その厳しい交渉で相手をやり込めた後には、今度は向かい合わせではなく、横に並んで座り、優しい言葉をかけるという。こうしたギャップ戦術により、相手の心の隙間に深く入り込む、という。これは私が唱えていることではなく、某「元大阪府ならびに市の首長」が以前に出版した書籍内に書かれていたネタ、すなわち単なる受け売りである。笑。
さて、オスという生き物が最も力みなぎる、すなわち様々な欲求や葛藤が「たぎる」年齢は、いつくらいなのであろうか。
自身について述べると、ティーンエイジャーの頃であった。すなわち、高校生から大学生の2年生くらいにかけての頃であった。「たぎって」いるわけであるから、沸き立つようなリビドーもとい本能を理性で抑えることが難しいお年頃である。
若い野郎同士は、意図せざるか否か、は不明だが、とにかく向かい合って座ることを心地よく感じる一面を持っているのであろう。そして相手を見定め、吟味し、隙あらばマウンティングしたい欲求があるのではないか。
「対面式」での着座は、円滑なコミュニケーションの遂行という点でも、一定の合理性を孕んでいる。車中が混雑していなければ、そして、相手との間に乗客が立って遮ることがなければ、質の高い情報伝達の遂行が可能となる。対面式であれば相手の表情や目線、仕草等を漏れなく拾えるために、たとえ相手の声が聞き取り辛くても、相手が言い間違えをしても、相手の意図がこちらに伝わりやすく、逆もしかりだと思われる。
他方、同年代の女性は絶対に「この座り方」をしない。基本的には横にならんで着座するスタイルをとる。競いたい、というよりも連帯感を共有することに心地よさを感じるのであろうか。若い世代がやがてオバチャンになると連帯感の共有よりも、「強引さ」や「自分の話をとにかくしたい」強い衝動が先行して、何が何でも横に座ろうとする。
どう考えても1人分ないだろう、と思われる、ヒトとヒトのごく僅かな隙間にも
体を潜り込ませてくる。何が何でも横にならんで、くっちゃらべっちゃら話をしている。そして、「どう考えても相手の話を聞いてない」と思われる返答や相槌が散見されるのである。それがオバチャン同士の会話によくみられる傾向である。
さて、話を冒頭の二人の若者(対面式で着座している)に戻すことにしよう。そのうちの一人が、とても満足げな様子で相手にこんな話をしていた。
「街で女のコが話しかけてきてさ~。大学生くらいかなあ?すげ~かわいいコでさあ。
速攻で連絡先を交換して、しばらくたったら電話がかかってきたんよ。
『週末に心斎橋で美術品の内覧会があるから一緒にいこうよ~』とか言っててさあ。
美術品とかどうでもいいけど、この積極性、どう思う?」
相手の眉が一瞬ピクッと動く様子が、見えた。
そうねえ、純粋な恋愛に繋がるといいよねえ。完。
うーむ、今日のブログは手抜きをしてしまった。
風呂敷を広げるだけ広げた挙句にたたまずそのまま帰るような感じ。笑。
また別の日の更新において、考察を深めていきたい所存です。