八日目の蝉
ある朝、タクシーを使って子どもを保育園に送り届けた。
先にエンディングを述べたが、このままでは「あっそうですか」で終わってしまうので、保育園に到着するまでのプロセスを振り返ることにする。
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その日は電話がなかなか繋がらなかった。
電話口の向こう側ではひたすらコール音が鳴るばかり。
一刻もはやく、貴方の声が聴きたいというのに。
しかしながらそれは叶わない。ひたすら鳴り響く機械音は、
真夏の蝉の鳴き声のごとく。ただそれをひたすら聴き続ける私。
そう、私は孤独な「八日目の蝉」。
仲間はみな、地上にでて七日目に死んでしまった。
いま、まさにいま、この世界に生きているのは
私だけではなかろうか。
そのような、若干のナルシシズムを孕んだ
勘違いをさせてくれるほどに、その機械音は、音であるとともに、
音でありながら、音のくせに、私のなかに沸々とわきあがる、
「忌々しさの象徴」へと昇華したのである。
この機械音は、ただそれを無条件で受け入れるしかない
対象、つまり私に対して、苛立ちと孤独を植え付ける
大いなる力を有しているということか。
いや違う。その音を知覚し、解釈をし、
忌々しさの象徴を見出したのはまぎれもなく私なのであるから、
私こそが私自身に苛立ちと孤独を植え付ける大きなる力を
有している、ということではないか。
・・・などと悶々としていたが、もう我慢の限界である。
ああ、もう駄目だ、我慢ができない。
震える指先が、機械音を、そして、忌々しさの象徴の息の根を
止めようとしたまさにその時である。
「は~い、●●タクシー配車係ですぅ~」
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ただでさえ焦っている朝。さらにその日は子どもを送り届けるタスクが
追加されている朝。正直、配車係はもっと回線を増やすべき!と思ったのだが、
回線を増やすという対策を講じたところで根本は解決しない。
くわえて、その日は金曜日であった。
「金曜日の午前中は病院通いの人達のオーダーが多くなるんで、配車係も運ちゃんも大変忙しくなるんですよ~」とのこと(運ちゃん談)。
なぜ金曜日の午前中にオーダーが多くなるのか。
「そりゃあ土曜日を避けるからですよ」とのこと(同上)。真因は表層にないねえ。